岩櫃城(いわびつじょう)は、現在の群馬県吾妻郡東吾妻町にあった日本の城(山城)。岩櫃山の東側に位置した。
真田幸隆、真田昌幸が城主をつとめた城として知られる。
築城時期および築城者については諸説あり不詳。
真田氏が岩櫃城主となってからは、吾妻郡支配の中心的役割を担うようになり、沼田城が真田氏に攻略されると、その支城として扱われた。武田勝頼が織田信長によって新府城を追われた(甲州征伐)ときに真田昌幸は勝頼に逃れてくるよう奨めたが叶わず武田氏は滅亡する。その後も真田氏は生き延び豊臣秀吉に属し大名として存続した。江戸時代、徳川氏の時代になると、真田氏もその傘下となる。徳川幕府の一国一城令により、慶長19年(1614年)に廃棄された。
現在城址に隣接する場所に東吾妻町営の岩櫃城温泉がある。その施設は天守をモチーフにしたコンクリート造りの建物であるが、実際の岩櫃城とは全く関係ない。
群馬県吾妻郡東吾妻町原町1946